春のソナタ

夜ふけ、知人が親切にも借してくれたジョン・アダムズのオペラ《エル・ニーニョ》の DVD をいよいよ見ようかしらと思ったのだったが、ふと気が変わって、グレン・グールドが1981年に《ゴルドベルク変奏曲》をスタジオ録音しているところを全編収録した DVD をひさしぶりに見ることにした。これは記念すべき初めて買った DVD ソフト、再生機を持っていないのに猛烈に欲しくて衝動買いしてしまったのだった。それから幾年月、DVD の再生機はあいかわらず持っていないものの Mac でイヤホンで聴くのでも結構満足、で、今回もただ陶然と《ゴルドベルク変奏曲》を弾くグールドに見とれた。

たぶん最多の再生頻度を誇るグールドの《ゴルドベルク変奏曲》のレコードだけれども、いざ映像を見てみたら、今まで映像を知らずに音だけ聴いていたことがとても不自然だったとさえ感じてしまうくらいの鮮烈さだった。次の変奏に移るときにキャメラの角度が変わることでキリッと聴き手も次の変奏に対峙するという効果がとても冴えていたりのキャメラの動きがすばらしいし、なんといっても映し出されるグールドの指そのもの、鍵盤の上の両手の動きそのものが美しいことこの上なくて、その10本の指がまさしく音楽そのもの、バッハの音楽とともに鍵盤の上のグールドの指をぼーっと眺めているだけでもたいへんな至福。ひさしぶりに見て、あらためてグールドの歓びにひたった。たまにでも映像を見ることはいいことだなあと幸福で仕方がなかった。

と、グールドの映像に感激のあまり、さらに勢いに乗って、これまたひさしぶりに、アンネ・ゾフィ・ムターの DVD を見ることにした。ベートーヴェンソナタ、《スプリング》と《クロイツェル》のライヴ映像と "A Life with BEETHOVEN" と題されたドキュメンタリー映像が収録されている。このドキュメンタリー映像はたまに見るとそれだけで背筋をシャンと伸ばしたくなる感じで、大好きな映像。リサイタルのためパリを訪れている折の映像を交えつつ、ムターのインタヴュウを中心に構成、カメラに向かって英語で話すムターはむちゃくちゃ頭がよさそうで、なんだかニュースキャスターのようでもある。自身の経歴から1998年のベートーヴェンソナタ全曲演奏会のことへと話題が移るのだったが、その演奏会を敢行するにあたってベートーヴェンの自筆譜にあたって自身の音楽を作り上げてゆく過程にとても感動的してしまって、ここにあるのは芸というか芸術への「求道」の美のようなもの、10曲のソナタの音楽、ベートーヴェンに対峙するムターの姿はさきほどのニュースキャスター風とはちょっと違って女学生のようでもあり、そんなムターを見るといつも心が洗われて、わたしもシャンと背筋を伸ばしてみようといつも思う。唐突だけど「圓生百席」の『中村仲蔵』と似た感激がある。

ひさしぶりにムターのドキュメンタリーを見て感激のあまり、寝る前は低音量でベートーヴェンのスプリングソナタを聴いた。やっぱり春になるたびに聴きたくなる音楽、今年の春は聴き損ねていたので、かろうじて間に合ってよかった。毎回しょうこりもなく思うことだけど、ベートーヴェンのスプリングソナタのフィナーレを聴くと、いつも頭のなかは一気にエリック・ロメールの『春のソナタ』。なんて単純な……。一度しか見たことのない映画だけど、教師をしているヒロインが仕事を終えて自宅に戻るときのキャメラの移動の様子、ヒロインの自宅の内部でもキャメラが移動して次々に部屋にある満開の花を映し出す、いかにも「春」でその軽やかなキャメラに終始合わさっている音楽がたしか《スプリング》の最終楽章で、そして映画のラストでもおんなじように《スプリング》の最終楽章が流れて、そこにしおれた花が映ることで季節の経過がわかって、でもかわりの満開の花束が登場して……、という感じだったかと思う(記憶はたいへんあいまい)。そのロメールの映画的処理が大好きで、いつも部屋で《スプリング》の最終楽章を聴くとあのシーンを思い出していい気分になっている。

と、春のソナタを聴いて今年の4月はおしまい。5月になったらシューマンの《詩人の恋》を聴こう。