亡命ロシア人

朝目が覚めて、ラジオのスイッチをつけるとシューベルトの《楽興の時》の第3曲目がきこえてきて、皆川達夫さんの「音楽の泉」が始まったところ。

1曲目はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番だった。好き好きプロコフィエフ、と大はしゃぎでしばらくいい気分で聴いた。期待通りにとても素敵な曲で、この曲を聴いたのは初めてだったのでよろこびもひとしお。1935年の作曲で、ロシア革命アメリカに亡命してヨーロッパに移ったあと、ソビエトに戻った年に作曲した音楽で、そんな背景からかわりと古典的様式にのっとった音楽で、第一楽章はきちんとソナタ形式になっている、というふうな皆川達夫さんのお話を伺って、亡命ロシア人のことをちょっと頭に思い描いたりもした。

2曲目の戦後作曲の無伴奏ヴァイオリンのソナタは朝食の食卓にて。グレープフルーツを食べながら、第二楽章の民謡風メロディの変奏曲を聴いているときの気持ちよさったらなかった。今週の「音楽の泉」はいずれも初めて聴いた音楽で素敵な曲を知ることができてよかった。来週はシューベルトの《美しき水車小屋の娘》とのこと、3月のボストリッジ内田光子さんの記憶を胸に、あらためてじっくりと聴いてみたい。

プロコフィエフの音楽を思いがけなく聴いたことでなんとなく「亡命ロシア人」という単語が頭にべったりと貼り付いてしまって、本棚から沼野充義著『亡命文学論』(作品社)を取り出して、しばし読みふけった。引用してあったブロツキーの詩の一節、《小から大を引けば、人間から時間を引けば/そこに残るのは、白い背景に生前の肉体よりも/くっきりと浮かびあがる言葉……》というオーデンに捧げた追悼の詩の一節がいたく心に残った。

ブロツキーと並んで、亡命ロシア人の代表選手といえば、なんといってもナボコフだてんで、ナボコフのところもさーっと読み返した。とたんに、ウィルソンとナボコフの往復書簡集が猛烈に欲しくなって、パソコンのスイッチを入れてアマゾンで探してみたらわりと安く買えるので嬉しい、さあ注文! と言いたいところだったが、いや待てよとしばし検索してみたら、作品社より今年7月に若島正さんらの訳で『ナボコフ=ウィルソン往復書簡集』が発売になるというので大感激。刊行がとっても待ち遠しい! → http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/kinkan-info.htm

ウィルソンといえば、むかし「『フィンランド駅へ』をぜひ読んでほしい!」と人に言われたことがあったのだった。いまだに手にとったことすらないのだけれども、急に追憶にひたってしまった。

午後は、ひさびさに目白に出かけてとてもたのしかった。目白の町は歩いているだけでいい気分。夜はお土産にいただいた、エーグルドゥースというお店のクッキーとともに紅茶を飲んで、あいかわらず『豊竹座浄瑠璃集』をめくった。ふだん自分でおやつを買うことは皆無なので、たまにおやつがあると、それはたいてい観光か社交の賜物。鳩サブレもあるので嬉しい。なんだか連休ならではのゆったりとした休日でこういうのはいいなあと、夜も時間がたっぷりだった。