神奈川近代文学館の芥川龍之介展

横浜へ出かけた。毎年黄金週間の行楽といったら鎌倉と横浜ですっかりワンパターンなのだけれども、やっぱり遊覧はたのしい。行きは去年はなかった東横線みなとみらい線に乗って、終点の元町駅で下車した。地下のホームはドーム状の天井になっていて、下車したとたん急に一度だけ行ったことのある大阪のことを思い出した。降りた駅の名前は忘れてしまったけれども乗った地下鉄の名前は御堂筋線だった、京阪神に行きたしと思えども毎年行き損ねている、今年は行けたらいいなアなどと言っていたら、出口を間違えそうになって危ない危ない。人込みのなかを必死に戻って元町方面のエスカレーターにのぼった。大江戸線もびっくりの地中深い駅だった。

傾斜のはげしい坂道をテクテク歩いて、海の見える丘公園にたどりついたときのさわやかな心持ちといったら。雨上がりでもやがかかっていて、よい天気のときとは違った風情でそれもまたよかった。目当ての文学館をたいへん満喫したあと、外人墓地脇の急な坂道をくだって、元町の商店街へ。元町の商店街も人込みのなかを歩いているだけで、なんだかとってもたのしい。通りがかりの喫茶店でのんびりしたりの午後だった。喜久家で明日実家へもっていくお土産を買った。

展覧会メモ

2年前の黄金週間に漱石展の見物に訪れて以来、今年で3度目の神奈川近代文学館。去年の挿絵の展覧会も思いのほか面白くてちょっとした余波を生んだりもして、お土産売場の図録も見逃せないものがあって、1年に1度くらいは足を運びたい気がする。と、二度にわたる黄金週間の展覧会のことを思い出して、今年も連休のスケジュールを練る際にまっさきに頭に浮かんだのは横浜の近代文学館のこと、さて今年はどんな展覧会かしら、と調べてみて、芥川龍之介だと知ったときはびっくりだった。近藤富枝著『田端文士村』(中公文庫)をとても面白く読んだばかりだったからグッドタイミングすぎた。

『田端文士村』は、美術家と文士のネットワークの場として大正時代の田端を捉えていて、そのキーパーソンを芥川とし、芥川を「誰もを自分の影響下におかずにはいられないシャーマン的な性格」の「田端の王様」というふうに呼んで、芥川龍之介を中心にした各分野にわたり人物相関図をときほぐしている。一時代の田端の風土のこともヴィヴィッドに伝わってきて、こんなふうに本を読めたらいいなあというお手本のような著者の手さばきだった。室生犀星や小穴隆一といったおなじみの面々のみならず、芥川の主治医で書家でもあった下島勲のことなどもとても面白くて、大正12年6月の新富座菊五郎の『鏡獅子』を見物をしたときに下島から羽織をもらって、そのおかえしに年末に袴を下島へ、という挿話がなんだか大好き。人々の可能性を引き出す芥川の魔法の杖といった描写が目白押しで、久保田万太郎の第一句集『道芝』の序文を書いたのも芥川だった。

……とかなんとか、近藤富枝さんの『田端文士村』で読んだ諸々のことが横糸だとしたら、今回の芥川龍之介展で見たいろいろなことは絶好の縦糸となって、それらが合わさることで頭のなかでひとつの織物が出来上がった感覚で、それがたまらなく快感だった。今回の芥川龍之介展、編集委員として川本三郎さんの名前がクレジットされていてので、それだけで期待大だった。展示は芥川の作家的生涯を時系列にたどってそれにまつわる資料を付すというオーソドックスなもの、最後に鎌倉や鵠沼、横須賀、横浜といった神奈川との関わりを示して締めている。そんなオーソドックスな展示を、順路に沿ってひとつひとつを凝視するだけでとてもたのしい、というとても充実したものだった。

こういう文学展を見ると、やっぱり一番楽しいのは、モクモクと本読みの刺激を受けること。その点でもちょこまかとたのしかった。わたしが芥川を熱心に読んでいたのは10年以上前のことで、しかも『六の宮の姫君』以降の私小説的な作品を偏愛していたので、今回展覧会を見たことで、かえってそれより以前の作品に関心を覚えたりした。芥川龍之介といえばなんといっても、戸板康二が若き日にもっとも愛読した作家であるので、それだけで見逃せないのだ。『戯作三昧』の題材となった饗庭篁村編『馬琴日記鈔』(文会堂書店、明治44年)という書物の展示、『世之助の話』の題材となった井原西鶴好色一代男』というタイトルなどを見るにつけ、この時代の文学者の江戸文芸への素養のようなものになんだかとっても憧れてしまって、真似したくなったりも。芥川の作品では、明治30年代の新富座が登場するという『開化の殺人』『開化の良人』を今まっさきに読み返したいのと、川本三郎さんが「ふと現実から離れてゆく淡い瞬間」と書いていた『悠々荘』『蜃気楼』などもいいなアと思った。10年以上前に芥川を読んでいた頃のことを思い出して、そんな「文学少女」的な感覚(←今となっては「けっ!」という感じだけど)がちょっと懐かしくもあった。堀辰雄室生犀星なんていう名前を見るとなおさらだった。

周縁の文人としては、薄田泣菫の名前が嬉しかった。『茶話』だけでなくて詩歌もきちんと読んでみようかしらと思った。谷崎潤一郎の『饒舌録』を読み返したくもなり、佐多稲子さんのことも気になって、芥川の死後の昭和戦前文壇のこと、大村彦次郎さんの『ある文藝編集者の一生』や川端康成文芸時評』といった最近の読書にもつながってくる感覚で、やっぱり文学展はなにかとたのしい。

あと思いもかけなかった余波としては、大正元年に横浜のゲーテ座で《サロメ》を観劇した芥川、ゲーテ座は坪内逍遥、北村透谷、小山内薫らも足を運んだ、という「ゲーテ座」という文字を見て突然思い出して、帰宅後書棚をあさって、以前図書館でコピーをとってそれっきりだった、河竹登志夫氏の『「漂流奇譚西洋劇」考』という論文を読んだ。明治12年新富座で上演された黙阿弥劇に関するもので、いつかの展覧会で見た河鍋暁斎によるこの劇の下絵がいたく心に残っていたのだった。

購入本

展覧会の余韻にひたるべく図録も購入。去年、一昨年と神奈川近代文学館の過去の図録にも大興奮して散財していたものだったけども、今回は散財せずに済んで、無料で配付している「収蔵コレクション展1 神西清文庫」と「収蔵コレクション展6 中島敦文庫」という冊子に大喜び。