歌舞伎座昼の部日記

平日と変わらない時間に家を出て、朝っぱらから京橋図書館へ。本を2冊借りてタリーズへ直行。コーヒーを飲みながらのんびり読書。天気は快晴で店内にはジャズがかかっているなかで気ままに本をめくっていると、なんだかいかにも休日という感じがしてきてふつふつと嬉しかった。

今日借りてきたのは、土屋恵一郎著『独身者の思想史 イギリスを読む』(岩波書店)。「不幸な妻帯者ジェイムズ・ビーティーによるヒュームへの注釈」という章を目当てに借りてきた。この著者のお能の本がとても好きなのだったが、あとがきの《私にとっては、思想史の問題は、日本の能や歌舞伎について書くことと同じ次元にある。俳優の肉体を言葉のなかでとらえることと、思想史とは異なるものではない。思想の肉体をつかまえてみなければ、観念の輪郭をとらえることはできない。そう思ってきた。》というくだりが、いいないいなと思った。

岩波現代文庫で発売になったばかりの『元禄俳優伝』はどんなだろう、近々読んでみよう。→ http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6020830/top.html

ついでに、最近感動した URL → 経済思想の歴史:http://cruel.org/econthought/

今日は歌舞伎座の昼の部、事前の準備(昼食の手配、筋書の購入等)はすべて現地集合の母の当番なので、今日は楽チン。いい気分でのんびりしたあと、ギリギリの時間になって歌舞伎座へ向かって歩いた。青い空の下、歩いているとき、ずっと気持ちがふわふわだった。

気が張っているというのでもなければ胸が躍ってしかたがないというわけでもない、なんだか妙にふわふわした感じで浮かれ気分で見物。今まであちこちで遭遇するメディア等の諸々の盛り上がりに圧倒されるうちに、いつのまにかだいぶ傍観者的になってしまったみたいで、新之助海老蔵襲名、むやみに興奮はしなかったけれども、居合わせて目撃して、それだけで嬉しいという感じで、淡々と見物した。でも、そんな見物がたのしかった。

幕開けの『四季三葉草』が始まって、清元の音楽にぼーっとひたりながら、三者三様の絵面をよい心持ちで眺めて、なんとなく雰囲気にひたっているのがたのしくて、だんだん祝祭的気分が盛り上がったところで迎えることになった『暫』。この『暫』がまさしく居合わせるだけで嬉しい、見物できただけで嬉しい、という、いつにもまして思考停止で、ただただ舞台に見とれるという感じだった。ああ、よかったなあ。後ろの方から海老蔵の朗々とした美しい声が聞こえてきただけで、来るぞ来るぞと、その瞬間はさすがに胸が躍ってしかたがなかった。花道に登場したときの立派なこと立派なこと、と、海老蔵が本当にそこにいる、それだけでもう完璧という感じだった。

と、海老蔵が本当に登場したというだけで舞台は完璧だったわけだけども、海老蔵を取り囲む人々が襲名ならではの豪華さでその顔ぶれがしみじみ嬉しかった。芝翫がとてもかっこよくてその隣に雀右衛門がいてくれたら! と、言っても仕方がないことだけど、かえすがえすも雀右衛門の休演が残念だった。雀右衛門がいてくれたら正真正銘完璧だったと思う。なまず三津五郎時蔵のコンビがいいなあ、と、『新薄雪物語』のときの妻平と籬のことを思い出した。

『暫』を見ているとき、「完璧だー」としみじみ嬉しかったのは、ウケの富十郎が実にすばらしかったから。なんて立派なことだろう。海老蔵富十郎とのセリフの応酬が続いている瞬間が『暫』を見ているときの最高潮だった。富十郎のセリフは海老蔵とは違った意味でとても美しく、もうなんて言ったらいいかよくわからぬ、とにかくすばらしかった。

思い起こせば、去年11月、富十郎が体調不良になったとき、自分でもびっくりというくらい激しく動揺してしまって、こんなに辛く悲しい思いをするのはもういやだ、それにもし万が一万が一なことがあったときは立ち直れないかもしれない、立ち直れないと日常生活に支障が出て困るので今から富十郎のことはなるべく忘れるようにした方がいいかもしれないと、そんな努力の甲斐あって、近頃わたしのなかでは富十郎はすっかり「想い出の歌舞伎俳優」と化して、時々思い出してはいたという感じだった(←ひどい)。

と、だいぶ言い過ぎではあるが、そんな辛く悲しかった去年11月のことを思い出すと感慨深い。『暫』という海老蔵襲名の晴れ舞台で富十郎が大活躍しているのが嬉しかった。よかったよかった、本当によかった。と、スカッと晴れ晴れとした気持ちで『暫』が終わって、幕間を挟んで、次は『紅葉狩』。

『紅葉狩』を初めて見たのは、筋書の年表を確認してみたら、平成10年11月、このとき芝翫富十郎という組み合わせで、山神が当時八十助の三津五郎で、従者が辰之助新之助で、それぞれの役を堪能したのをよく覚えている。同じ月に見た雀右衛門のお三輪の『妹背山』もとても印象に残っている、豆腐買いは富十郎だったこともよく覚えている、と、いつまでも富十郎のことばかり考えて、最後の『伊勢音頭』でも、初めて見た仁左衛門玉三郎のとき、喜助は富十郎で、同じ月に富十郎は『うかれ坊主』を踊っていたのだ、と、いつまでも富十郎のことばかり考えているうちに、昼の部が終わってしまった。海老蔵襲名のときに、いったいわたしは何をしているのだろうかとあとでちょっと反省だったけど、『暫』、よかったなあ。

『紅葉狩』は初めて見たときはとてもたのしかったけれども、3度目ともなると、だんだん見物が散漫になってしまった。姫の舞いのところの、二枚扇のところではじめ竹本で次は長唄で(だったか)の音楽的昂揚のところでやっとたのしくなってきて、更科姫の退場のところで足拍子とともにキッと睨む菊五郎の表情がとてもよかった。そういう菊五郎を見ると、3月の政岡を思い出したりして、女方菊五郎をもうちょっと見たいものだなあと思う。菊五郎女方というと、玉手御前をぜひとももう一度見たい。と、将来の芝居見物の夢が広がるのだった。

菊五郎女方というと、3年前の同じく5月に見た『伊勢音頭』の万野も好きだった。『伊勢音頭』は初めて見たのは仁左衛門玉三郎で、今回は3度目。『紅葉狩』と同様、どうも見物が散漫になってしまって、反省しきりだった。仁左衛門玉三郎で見たときは、ストーリーそのものや万野という役柄が面白くて、2度目に團十郎で見たときは、夏芝居の風俗にとても堪能で、雰囲気をたのしんだという感じ。今回はそのどちらも中途半端になってしまって、芝居の段取りとかに注意を払うようにすれば、もうちょっとたのしめたのかもしれないなとあとで思った。

『暫』までの、ふわふわした浮かれ気分がとてもたのしかった今回の見物。『紅葉狩』とか『伊勢音頭』とか、自分にとって何度目かになる演目で、見物を深めることができなかったのが残念。とにかく、『暫』で浮かれ過ぎてしまった。