寄り道古本日記

foujita2004-05-10


この週末はほとんど外出していて家事がおろそかでなんだか落ち着かぬので、早起きして部屋の掃除等にいそしんだ。月曜日の朝はただでさえどんよりなのに、天気が悪くて、さらにどんより。こういうときはなにか音楽を聴いて気を紛らわせるほか方法がないと、イヤホンでシベリウスのヴァイオリン協奏曲をムターのディスクで聴きながら掃除を始めてみると、音楽のよろこびの昂揚と掃除の進展とがシンクロすることで、実にいい気分。やはり音楽を聴くとだいぶ気分転換になるものだ。朝はいつも NHK ラジオだけど今日はずっと音楽聴きで、シューマンの《交響的練習曲》をポリーニのディスクで聴いて、じんわりと堪能。身支度のときは、今日もポゴレリチスカルラッティ。去年の梅雨の鬱陶しい季節に夢中だったポゴレリチスカルラッティ、今年はホロヴィッツ盤を聴き始めようと思う。

帰りは雨が降っているのか降っていないのかはっきりしない、あいかわらずのどんより。ちょいと気を紛らわそうと神保町へ寄り道。いつもの通り、東京堂に長居。歌舞伎に興奮して、昨日の夜ふけ、いろいろ資料をひもといてぜひとも欲しいと思った本があったので、見に行ったりした。

梅雨に備えて今のうちから覚悟をきめておいた方がいいなと、雨上がりの蒸したなかを帰宅して、煮物をこしらえながら志ん朝ディスク。『三枚起請』を聴いた。「三千世界の鴉を殺しぬしと朝寝がしてみたい」と、川島雄三の『幕末太陽伝』の追憶にひたってうっとり。『百年目』とか『茶金』も聴いた。今はふたたびポゴレリチスカルラッティを流している。

購入本

  • 福永武彦『随筆集 書物の心』(新潮社、昭和50年)

閉店間際の巖松堂書店でのこと。河上徹太郎文芸時評に、戸板康二が坂本一亀編集長の『文藝』誌上に発表した戯曲の時評がチラッと出ていて「おっ」となった直後、福永武彦の本が目についてふらっと手にとった。中を見てみると、今考えていることについてのいくつかの文章があったことと、川上澄生の造本がそこはかとなくいい感じで値段も数百円なのでふらっと買った。こういうふらっと予想外な展開で買う古本はたのしい。1冊買って、包装紙に包んでくれて最後に輪ゴムでパチッと止める。そんな包装紙と輪ゴム使用の本屋さんで買い物したのはひさしぶりだなあと思った。古本屋さんと輪ゴムとで、串田孫一の『文房具56話』のことを思い出して、帰宅後ちょいとちくま文庫を繰った。

串田孫一が戦前に出していて、戸板康二も参加していた同人誌「冬夏」に福永武彦ロートレアモンの『マルドロールの歌』の翻訳を連載していて、串田孫一が福永を知ったのは渡辺一夫の紹介だったという。『書物の心』には「江戸川乱歩の思い出」という文章があって、福永が探偵小説を書いたのは戸板康二よりもちょっとだけ先のこと、十返肇梅崎春生の名前がちょろっと登場したり、乱歩の熱烈な依頼で「宝石」に小説を載せたり、単行本には乱歩の懇意な序文が載ったりと、戸板康二福永武彦は交差しないようでいて戦前戦後のある時期パラレルなところもあって、なんだかおかしかった。と、そんな戸板康二がらみにかぎらず、『書物の心』にはあちこちに「おっ」という文章があるので、今日からしばらく寝床本になりそう。