そら豆を茹でる

谷崎潤一郎の『青春物語』読みさしのまま寝てしまって、起きぬけに読み終わった。家事が一通り終わったあと、メラメラと戸板康二の『新劇史の人々』のことを思い出して、小山内薫の項をめくった。やはりここで『青春物語』が引用してあった。久保田万太郎の短篇に「明治四十二年」というのがあったけれども、本当にこのあたりの諸々の動きは面白いなあとあらためて目が覚めた。鴎外がらみで三木竹二のことを思い出して、戸板康二の『俳優論』所収の「森鴎外三木竹二と」という本を読み返してみると、前に読んだときよりもずっとここに書いてあることが浸透してくる感じ。というか、前々からいろいろ思い違いが多かったことに気づいた。来月いよいよ、岩波文庫三木竹二が出るという大事件が待っているので、それまでにちょっとこのあたりを強化しておこう。なんてことを思いながら、図書館でコピーした国立劇場の上演資料集、まずは『魚屋宗五郎』をペラペラとめくった。「歌舞伎新報」に掲載の三木竹二らによる、明治29年明治座上演の合評と、「新演芸」に掲載の伊原青々園らによる合評、大正10年市村座上演の合評とを続けて読むことができて、大興奮。それから、三宅周太郎による『碁太平記白石噺』の劇評、大正7年帝劇の菊次郎の宮城野を評した文章に大感激だった。名舞台が名劇評を生むという典型がここにある。

神保町にちょいと寄り道してそのあと末広亭へ、という計画が泡と消えて、スゴスゴと帰宅。そら豆を塩茹でにしようと、皮から出してみたところ、あんまりきれいな緑色なので急に感激。そうだ、そら豆ってこんな色だったなあと急に季節のよろこびにひたった。万太郎句集から「そら豆」が季題の句をさがしてみよう。

今夜も窓の外はザーザ―と雨音、シムノンの『メグレと殺人者たち』読了。期待通りに初シムノンをとっても堪能。

都筑道夫による解説の末尾、

《この「メグレと殺人者たち」で、はじめてシムノンの作品に接するひとは、ほかのメグレのも、ぜひ読んでいただきたい。そして、しばらくたったら、またこの作品を、読みかえしてみていただきたい。かならず最初に読んだときには、気がつかなかったおもしろさを、発見するに違いない。メグレものをたくさん読めば読むほど、あなたは大勢の人間を知ることになって、ふたり分、三人分の人生を生きたような、豊かな心になれるのである。暇つぶしのつもりで、すらすらと読めて、しかも、あとで大きなものが、自分のこころに残ったことに気づく。だから、メグレ警視シリーズは、息長く世界の人びとに、読まれつづけているのだ。そして、それが小説を読む楽しみ、ということなのである。》

思わず長々と抜き書きしてしまったけれども、この都筑道夫の言葉に、ハイ! となった。