素浪人罷通る

外出の帰りに時間があったら足をのばそうと手帳にメモしてあった映画を今回は見ることができた。伊藤大輔の映画は去年フィルムセンターで大変堪能した『大江戸五人男』に続いて二度目、同じく阪妻の主演で、ストーリーは天一坊、これはいやがうえにも期待は高まる、キャー、面白そうー! と、意気揚揚と阿佐ヶ谷に馳せ参じた、と言いたいところだったが、猛暑のなかを外出していたのでだいぶくたびれていて、阿佐ヶ谷にたどりついたころは疲労困憊、なにも無理して来る必要はなかったのでは、と、ちょっと後悔だった。しかし、ここまで来てしまったからにはもう戻れない、と、かなり無理やりに映画館に入場したという有り様だった。

と、テンション低いなかで見ることになったので、いつもだったら初っぱなから大喜びに違いなかったところを、なんとなく気だるげな気分でぼーっと眺めることとなった。冒頭の崖(だったかな)のショットのアングルからしてとてもかっこよくて、遠くから向こうをのぞむようにして画面を捉えて、それがゆるやかに移動していくそのテンポのよさ、というかなんというか、冒頭からの展開がキリッと爽快で流れに身を任せるのがとても気持ちよい。ストーリーはおなじみの天一坊で、八代将軍吉宗のご落胤紀州から江戸城へと旅立ち、その途中、待ってました! と阪東妻三郎演じるところの山内伊賀亮が登場、天一坊が江戸へ赴くのは野心や邪心などではなくて、ただただ実の父と対面したいがためという純粋な思いにほだされて、伊賀亮が男気(のようなもの)を発揮して天一坊に同行する、というストーリー。と、その伊賀亮が登場するまでは、スクリーンに映るショットを堪能してはいたけれども、猛暑の疲れでだいぶぼーっとしてしまっていた。が、伊賀亮が登場する直前、屋根に上がった寺子屋の手習子が登場したあたりから少し目が覚めてきて、屋根のあたりから映る空の映像がすごいなあと急に眩しくなってきた。思えば、この映画は、最後の最後まで空の映像がとても冴えていて、忘れられないものがあった。

阪妻登場直後は、キャー、かっこいい! と、心の中でしばしはしゃいだものの、その阪妻の姿にも慣れてくると、またもや猛暑の疲れでちょっとぼーっとしてしまったのと、日頃辛気臭いレトロなメロドラマばかりを見ているので時代劇だといまいち共感がわきにくいというのとがあって、まあ、こんなものなのかなあ、とだいぶ傍観者的にスクリーンを眺めて、ストーリーを追っていたのだった。が、終盤になっていよいよ大詰めの大詰め、鷹狩り途上の馬上のお殿様と路上の天一坊との一瞬の対面のところで、急に気持ちが盛り上がってしまって、そのシーンのあまりの見事さ(空の映り具合がスゴい)に悶絶し、一瞬の対面のところでは先ほどまでの傍観者的に眺めていたのとは打って変わって急にストーリーに感情移入、対面できてよかったと涙目になってしまいそうな勢いだった。と、気持ちが盛りあがったところで迎えることとなった、ラストの阪妻の「刀を使わない」立ち回り! 屋根が登場したせいか、短絡的に先月の歌舞伎座の『弁天小僧』を見物したときのことを思い出してしまった。先月の歌舞伎座のときとおんなじように、立ち回りシーンにただただうっとり、なんて美しいのだろうと思った。そして、うっとりするばかりではなくて、叫びたいくらいになんだか異常に興奮してしまった。不慣れなチャンバラ映画でこんなに興奮したのは初めて。あのラストシーンをもう一度見たい。何度でも見たい。

と、テンションの低いなかを見に来た『素浪人罷通る』、ラストの阪妻の立ち廻りがかっこよくてかっこよくて大興奮だった。もうちょっと体調がよければ、もっと全編をムラなく楽しめたに違いないけれども、ラストの大興奮だけでも十分過ぎるくらい。阪妻主演映画をこれから追ってみたい、伊藤大輔の映画を強化したいと明日の映画館行きの夢がモクモクとなって、帰りの電車に乗りこんだときはとっても上機嫌。車窓からはもうすぐ日没の空が一面に見えて、『素浪人罷通る』のなかのいくつかの空を思った。阪妻がひたすらかっこよかったけれども、お殿様役の役者の独特の美貌も印象に残った、と、後になって守田勘弥だったと知って納得だった。

屋根の上の大立回り “イドウダイスキ”の面目躍如/伊藤大輔が十数年にわたる大スランプから脱した戦後第一作で、講談ネタでおなじみ「徳川天一坊」が題材。当時は米軍による規制が厳しくチャンバラは禁止、それを逆手にとった演出でドラマを盛り上げた。ご存知バンツマが刀を使わず魅せる悲愴美に酔う。(チラシ紹介文より)