神保町ショッピング

ほんの気散じにと、深い考えもなく神保町に寄り道。いつもの通りに岩波ブックセンターをのぞいてみると、子規の『水戸紀行』を収めた愛らしい本を発見。こんな本が出ていたなんて、え〜! とびっくり。今まで見逃していたのはとんだドジだった。とにもかくにもガバッと買った。子規の『水戸紀行』だけでもう胸はいっぱいだったけれども、せっかくなので東京堂ものぞくとしようと出かけてみると、待ち遠しかった『小沼丹全集』が売っていて、え〜! と、ますます胸がいっぱいでほかに本を見る余裕はもうなかったので、ガバッと買って早々に外に出た。一刻も早く帰宅して家事を片づけて小沼丹を繰るとしようと早歩きしつつ、ちょっと気が向いて通りがかりの巖松堂に足を踏み入れた。なんとなく文庫本棚を眺めてみたら、前々から気になっていた都筑道夫の捕物帳、《なめくじ長家捕物さわぎ》シリーズが何冊も売っていて、値段をチェックすると1冊100円なので、え〜! と、こうなったら全部買い占めてしまえッと、一気に8冊買うことに。未読の都筑道夫本がなくなっていたところだったので実にグッドタイミングだった。深い考えもなく来たわりには、稀にみる大収穫の神保町だった。

購入本

  • 正岡子規著/解説・柳生四郎『水戸紀行』(筑波書林《ふるさと文庫》、1979年)

子規の『水戸紀行』のことが一気に気になったのは、坪内祐三の『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』(ISBN:4838712065)がきっかけだった。全著書を特に最近は全然フォローできていないけれども、坪内さんの本で一番好きな本を選ぶとなると迷うことなく『慶応三年生まれ』。『水戸紀行』は子規が子規となった明治22年4月に訪れた水戸の紀行文、その一カ月後に喀血することとなって、紀行文そのものは半年後の同年10月に書かれた。その子規の『水戸紀行』のくだりは『慶応三年生まれ』でも特に好きな箇所のひとつで、ぜひとも読まねばッと思いつつも、そのまま幾年月。突然、岩波ブックセンターの平台に積んであるのに遭遇したという次第だった。とにもかくにも胸がいっぱい。解説とともに子規の『水戸紀行』を読むという体裁の100ページの愛らしい本。子規の本文と解説が分離して掲載されているともっとよかったなあという欲もあるけれども、でもでも、こんなに嬉しい本はなかった。

帰宅後、大急ぎで家事を片づけて、丁寧に紅茶を入れて、さっそく『村のエトランジエ』の最初の2篇、『紅い花』と『汽船――ミス・ダニエルズの追想』を読んで、さっそくたいへんな至福。これからしばらく小沼丹とともに部屋での時間を過ごせると思うと本当に嬉しい。月報には阪田寛夫紅野敏郎の文章、全集を買うたのしみは月報を読むことにもあるなあという歓びの根幹を味わうことができた。紅野敏郎さんの文章は、小沼丹が文学者として本格的にスタートをきる舞台となった雑誌、第2次「文学行動」に関するもので、昭和22年8月から昭和25年1月までの全14号の総目次が掲載されているという充実ぶり。《小沼の作品は批評の言葉を拒否する、と秋山駿が語っているように、なまかじりの批評よりも、総目次という具体的な事実でじりじりと迫っていくより仕方がないのである。》

その「文学行動」の総目次をじっくりと眺めていたのだったが、第5号までの発行所が十字屋書店となっているので「おっ」となった。十字屋書店は、戦前に串田孫一が中心になって発行していて、戸板康二も寄稿していた同人誌「冬夏」の発行所。その串田孫一は、第4号から第7号までカットを描いたりダランベールの翻訳を載せたりで「文学行動」の誌面に参加している。まっさきに読んだ小沼丹の『紅い花』が掲載されているのは第8号。

  • 都筑道夫『おもしろ砂絵』光文社時代小説文庫
  • 都筑道夫『かげろう砂絵』光文社時代小説文庫
  • 都筑道夫『きまぐれ砂絵』光文社時代小説文庫
  • 都筑道夫『あやかし砂絵』光文社時代小説文庫
  • 都筑道夫『からくり砂絵』光文社時代小説文庫
  • 都筑道夫『くらやみ砂絵』光文社時代小説文庫
  • 都筑道夫『ちみどろ砂絵』光文社時代小説文庫
  • 都筑道夫『さかしま砂絵』光文社時代小説文庫

光文社時代小説文庫の都筑道夫の《なめくじ長家捕物さわぎ》シリーズは全11冊のようで、残りの『ときめき砂絵』、『いなずま砂絵』、『まぼろし砂絵』もいずれどこかで100円で見つけたいものだと闘志がメラメラ、手帳にタイトルをメモ。このシリーズは『推理作家の出来るまで』の下巻を読んだときまっさきにそそられたシリーズで、「BOOKISH」の落語本特集号でも紹介があって、ますますそそられていた。まっさきに読むのは、「長家の花見」「舟徳」「夢金」などなど落語のタイトルがそのまま使われている『きまぐれ砂絵』かな。都筑道夫があとがきで、《落語が力をうしなったのは、歌舞伎は細部がわからなくても、見た目の美しさに、酔うことができる。しかし、落語は耳だけのものだから、江戸の知識がないと、わからないせいだろう。小説のテンポが崩れそうになるのも私がおそれないで、江戸の風物を詳説するのは、そのせいである。うるさく思わずに、江戸を吸収していただきたい。》と結んでいるのを見て、ハイ! となった。