河盛好蔵と『月草』

昼下がりの東銀座にて、海老蔵の『助六』ですっかり精気が吸い取られてなんだか疲れてしまった、思えば今年に入ってなんやかやで毎月見物に行っていたことだし、わたしはこのへんでしばらく数カ月は歌舞伎見物はお休みしたいのだけれども、ところで8月の歌舞伎座は何? 『四谷怪談』だったら前言撤回して行っちゃうかもー、というようなことを言っていたら、本当に8月は『四谷怪談』だというのでびっくり。なんということなのだろう。

そんなこんなしたあと、舞台写真を買いにいこう! と夜の部上演中の歌舞伎座に潜入することに。壁に貼ってあった『櫻姫』のポスターを見て急に、武田百合子『日日雑記』のことを思い出した。《おや、孝夫の素足が、こんなになってる。お姫様の振袖の、とんでもないところから浅黒い素足の先が出ている。》の箇所。吉右衛門段四郎を一瞬買いそうになってしまいつつも、最終的には当初の予定通りに無事に海老蔵を3枚選出。先月は海老蔵を買うつもりがうっかり富十郎三津五郎を買ってしまっていたのだった。

家に帰って、百合子さんの『日日雑記』の櫻姫見物のくだりを読み返していたら、なんだか『櫻姫』も見たくなってしまった。うーむ、どうしたものか。長い間借りていてすまなかったと本日返却された、貸していたことをすっかり忘れていた、大貫妙子の『アンサンブル』を何年ぶりかで今聴いていて、とってもよい気分。思えば、発売まなしに買って、何年か前の夏にずっと夢中だったディスクだった。歌舞伎座で『四谷怪談』を見たのと同じ年だったと思う。あの年はえらく暑い夏だった。今年は暑くなるのかな。


購入本

今週買った本のうち、2冊のメモ。

  • 河盛好蔵『回想の本棚』(新潮社、昭和51年)

月曜日の夕方、閉館30分前に「地下室の古書展」(http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/)開催中の東京古書会館に到着。と、時間は30分しかなかったのだけれども、会場の雰囲気がとってもよくて、たいへん満喫した30分間だった。地下の古書展会場は、壁一面に書棚があって真ん中は椅子やテーブルがあったりのゆったりとした空間になっていて、「書物」とか「古本」という言葉からふだん連想する最良のものがそのまま空間化しているという感じで、居合わせるだけでうっとりだった。会場を一周して目にうつる本を凝視、いろいろ下見して、よい本をたくさん見ることができて古書展そのものの歓びも大満喫だった。こんなに素敵な会場、サクサクッと景気よく買い物したいところだったのだけれども、懐の都合がよろしくなく無念であった。もうちょっとコンディションがよければいくらでも買いたい本があった。次回開催時はぜひとも時間とお金両方のコンディションを整えておきたいものだ。などとぼやきつつも、しっかり本は購入。河盛好蔵のエッセイ集、初めて見た本でパッと見た感じでとてもいい印象で、パッと手にすると値段は300円。安いッとセコいよろこびにひたりつつ、即購入を決意したのだった。と、会場にいるだけでうっとりだったのに本も買えたわけで、結果的には言うことなしだった。

そして、帰宅後、さっそく読んだ河盛好蔵のエッセイ、期待以上に素敵で大収穫だった。この本はいくつかの雑誌のために書いた、《気の置けない友人と、文学や文学者の話をするのを何よりの楽しみにしている。この本はそのような気楽なおしゃべりを集めたもので、……》と著者あとがきにあるような文章を収録している。『文学空談』(文藝春秋、昭和40年)の続篇とのこと。先月にふらっと買った福永武彦の『書物の心』といい高橋英夫さんの本といい、こういう雑誌向けに書かれた文学エッセイを収録という体裁の本が大好きだ。今回の河盛好蔵は、大村彦次郎著『ある文藝編集者の一生』を思い出させてくれる文章が多くて、いろいろと連関するという点でも嬉しい1冊だった。冒頭の宇野浩二に関する文章からしてさっそくよかった。

大正14年10月に帝国ホテルにて開催のジル=マルシェックスのピアノリサイタルのくだりでは、薩摩治郎八のことを思い出し、ワオ! だった。必ず合わせて語られる梶井基次郎に関する文章にそのくだりはあって、河盛好蔵はこのとき、築地小劇場の見物もしているのだそう。そのとき上演のチェーホフの『ワーニャおじさん』は米川正夫の訳が使われたのだそうで、こういう日本近代文学の翻訳にちょっと興味津々なので嬉しかった。とりわけ日本でよく読まれているという、河盛好蔵も大好きだったというフィリップはどういうふうに日本の読書人に紹介されていったのかという過程がわかったのも収穫だった。山内義雄に関する文章がとてもよかった。前々からほんわかと好きだった河盛好蔵の文章そのものもとてもよくて、さらに追求したいところ。『藤村のパリ』も大好きな本だった。ここ何カ月か、いろいろな経緯から、島崎藤村をちょっと強化したいとも思っている。

本当にもう大変大変、今月は、海老蔵の『助六』といい、三木竹二岩波文庫化といい、未曽有の歌舞伎の当たり年だ。1年以上前にさる人に出るらしいと教えていただいてから、ずっと待ち遠しかった本。発売日の水曜日は、神保町に突進して、閉店間際の岩波ブックセンターでガバッと買った。以来、肌身離さず持ち歩き、寝るときは枕元に置いている。團菊がいた頃の明治の歌舞伎を今に伝える1冊、と、『月草』の明治20年代の劇評とともに、團菊逝く1年前の明治35年の「團菊の八重垣姫」という文章があったり、最後は、三木竹二の逝く1年前の明治40年忠臣蔵評が収録されている。通して見てみると、三木竹二の文体の変化という点でも非常に興味深くて、明治文学史そのものにも思いが及ぶ。手にとってまっさきに探したのは、菊五郎の『髪結新三』のところ。つい松助に夢中で、『牡丹燈籠』の松助がいいなあ。渡辺保さんのあとがきの「自分の本を出すより数倍嬉しい」というくだりにジーンだった。三木竹二の単著としては初めてなのだから、本当にすごいことだ。渡辺保さんのあとがきにある三木竹二を読む意義として挙げられてある4項目を読んで、これからの歌舞伎への接し方の自分なりの目標を心に刻んだ。詳細な注釈も嬉しくて、本全体も美しい。一生の座右の書にしたい。第一次「歌舞伎」も追いかけたいところ。

とかなんとか、歌舞伎に疎いくせに大騒ぎしているのは、戸板康二の座右の書が現代に甦って、わたしも手にすることができて嬉しいというのが第一なのだった。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/bun/another.html