夏の夜の浄瑠璃

朝、ちょいと気をまぎらわそうと、ギーゼキングドビュッシーを聴こうとスイッチを入れてみたら、なぜか音が聞こえなくてがっかり。配線をチェックする気力が出ず、ぼんやりしているうちに出かける時間になった。という出だしがいかにもな、冴えない1日を過ごし、ヨロヨロと帰宅。えいっと配線を直してドビュッシーを流しつつ、部屋の整理整頓をしていたら、以前デパートの展示即売で突発的に購入した、江戸職人団扇(?)が出てきた。存在を忘れていたのが思いがけないところで出てきて嬉しかった。なんとなくあおいでいるうちにいい心持ちに。空調はなるべく使用せず、盛夏は団扇で過ごせればいいのだけれども。

整理整頓が一通り終わったあとで、団扇片手に、『狭夜衣鴛鴦剣翅』の三段目を読んだ。「推理劇としてのクライマックス」というようなことが書いてあったけれども、まさしく一点の曇りもなく、諸々の謎が解明されていく、冴え渡った絡み具合が実にすばらしくて、ただただ驚嘆。浄瑠璃劇によくありがちな「え〜!」というような大どんでん返しが目白押しで息をつく間もなく、しかしそんな大どんでん返しが一分の隙もなくきちんと処理されてゆく。眼福、の一言だった。

浄瑠璃を読んでいると、宿命的に不幸な女、というのがよく登場する。強く美しく賢く気だてもよい人物であるのに絶対に幸せにはならず、はかなく散っていくような。そんなはかない運命がしみじみ胸にしみいる。それにしても師直の母のかっこいいことといったら。のみならず、ここにいる登場人物全員がそれぞれに懸命に生きているのだなあ。……などと、作劇術にうっとりというだけでなく、登場人物にも感情移入で、余韻は深い。今夜は宵っ張りにならないように注意せねばと三段目が終わったところでおしまいに。ジャズでもミステリーでもなく、真夏の夜は浄瑠璃読みがよいかも。