桂雀々・落語のひろば

foujita2004-11-22


日没後、有楽町まで歩いて、線路沿いをさらに歩いて帝国ホテルの手前で左折、泰明小学校の脇を通って右折、新橋方面へとさらにテクテク歩いた。新橋に来るのはずいぶんひさしぶり。あ、新橋ステンション、と小林清親の絵を思い出した。それから急に、去年、代官山のユトレヒトで催された佐野繁次郎展のことを思い出した。展覧会そのものには行き損ねたのだけれど、たいへん素晴らしい素敵な小冊子「sano100」を無事入手できてホクホクだった(http://www.utrecht.jp/person/?p=29)。新橋駅のビルに佐野繁次郎の壁画が残っている、ということを「sano100」で知って、まあ! と当時たいへん感激したものの、ずっと行き損ねていたのだった。が、思い出したのが突然だったため、正確な場所がどこだったかよくわからず無念。帰宅後確認したら、1966年施工の「新橋駅前ビル」だと判明。

落語会の会場の内幸町ホールへ向かおうと歩いてゆくと、目の前に新橋第一ホテルが登場して、急に興奮。新橋第一ホテル、というと、戸板康二推理小説を書くときに仕事場にしていたということで、東京戸板名所のひとつなのだった。そもそも、新橋というと、昭和33年発行の奥野信太郎編『東京味覚地図』(河出書房新社)で戸板さんが執筆担当していたのが新橋であった。と、戸板ファンの喜びにうちひしがれつつ新橋第一ホテルの脇を歩き、やがて会場の内幸町ホールにたどりついた。新橋第一ホテルに程近いビルの地下にあるホール。初めて来たホールだったけど落語会にぴったりのとても素敵なホールだった。ビルの谷間の地下室のホール、ニューヨーク旅行のときにジャズを聴きに行ったときのことを思い出した。などなど、日没後の内幸町ホールまでの道のりは思っていた以上に愉悦のひとときだった。また、内幸町ホールで落語を聴く日が来るといいなと思う。佐野繁次郎の壁画はそのときに見られればいいなと思う。


落語メモ

先月の桂吉朝独演会で入手したチラシで知った会。桂雀々さんというと「大銀座落語まつり」で聴いた『あたま山』が面白かったなあと夏の落語会を思い出し、それから『笑わせて笑わせて桂枝雀』(ISBN:4473019896)のことも思い出すのだった。と、桂吉朝独演会を機に足を運ぶことになった今回の落語会、ホールの椅子に座って、配付されたプログラムを開くと、戸田学氏の解説を読むことができて、上方落語気分がますます盛り上がって嬉しかった。東京では『粗忽の釘』の『宿替え』は枝雀が練りに練って、上方では五代目笑福亭松鶴の型しか伝わっていなかったのを枝雀が練りに練って、枝雀が現代に甦らせたといってもいいくらいなのだという。そういう『宿替え』を雀々さんで聴くことができて嬉しかった。初の口演なのだそうだ。マクラの「非言語コミュニケーション論」(だったかな)という講義を毎週女子大でしているというくだりが、おかしくておかしくてヒクヒクだった。『宿替え』は全編いかにも枝雀で、雀々さん、枝雀そっくりなのかなあと思った。ディスクではなくて高座に接して聴く一席ならではのおかしさがみなぎっていて、その感覚がたまらなかった。紅雀さんは、寄席で一度聴いたことのある『花色木綿』で、端正な一席でとてもよかった。大家さんと泥棒に入られた男の問答の「花色木綿」という繰り返しが絶妙。初めての噺家さんに接して、また聴きたいと思うのはいつもとても嬉しいことだ。

雀々さんの東京での独演会は今回でちょうど10回目なのだそうで、毎回秘密のゲストが登場しての対談コーナーがあるとのこと、「大物ゲスト」はどなたなのかしらとワクワクだった。で、登場したのは、もと大阪の喜劇人で、大阪府知事になったものの、さる犯罪で辞職に追い込まれた、という人物。往年の喜劇人としての活動を知っていれば楽しめたのかもしれないけれど、わたしにとっては、いやーなニュースを通してのいやーな記憶が生々しくて、いざ姿を見ると「気持ち悪いよ〜」という感想しか湧いてこず無念であった(←ひどい)。でも、雀々さんの応対というか、対談のときのリアクションはとても面白くて、みものだった。

最後の一席は、桂米朝師匠作の『一文笛』。今回初めて知った噺。大阪の町中、堺筋や御堂筋を舞台に活躍するスリが登場する落語で、導入部を聴いて、いたって短絡的ではあるけれども、三木のり平主演の『大日本スリ集団』という映画のことを思い出した。万博一年前の大阪が舞台の、藤本義一の脚本の映画。去年フィルムセンターで見た映画で、見た当時はとりたてて面白いとは思わなくて、ほどなくして忘れてしまったのだったが、『一文笛』が始まってみると急に映画の記憶が甦ってきた。スリの活躍の舞台は人々が行き交う町なかというわけで、『大日本スリ集団』でも銀幕の大阪風景がとても印象的な映画で、町が主役といってもよかったのかも。スリが登場する落語、『一文笛』でも急に大阪の町の群衆を感じたのだった。噺そのものもなかなか面白くて、聴いているうちに、今度は喜多八さんの口演、『鬼平』の一篇を落語に仕立てた『大川の隠居』のことを思い出した。新作落語を聴くといつも、日本の大衆小説の雰囲気のようなものをヒシヒシと感じる。この感覚、面白いなあと思った。

ホールに至る道筋といい、落語会そのものといい、とても充実したひとときだった。落語会は、登場した「大物ゲスト」も含めて、いろいろな意味で古今の「大阪」というものが会全体にあった気がする。