『北村十吉』を読了し、マルセル・カルネ『ジェニイの家』を見る。

今日も早々に外出、喫茶店でコーヒー片手に、中戸川吉二『北村十吉』(叢文閣、大正11年)を怒濤の勢いで読む。終盤に差しかかってくると、事件の経過と作者の筆がほぼ同時進行の展開になって臨場感たっぷり、手に汗にぎり、あっという間に読了してしまう。出がけに突発的に持参した、荒川洋治『文学が好き』(旬報社、2001年)を取り出し、EDI より刊行の『中戸川吉二 三篇』(http://www.edi-net.com/sosho/nakatogawa.html)の書評を読む。中戸川吉二を語る荒川洋治の文章はいつもなんて素敵なのだろう! とヒタヒタと感激して、しばし虚空を見つめる。

昼、曇り空の下、郵便局へ。自分内会計〆日の今日中になんとしてもッと目には炎がメラメラ、昨日届いた大岡龍男『不孝者』代を支払う。無事に支払いが済んで気分スッキリ、一刻も早くこのことは忘れようと、本屋へ立ち読みに出かける。

日没時、力なく外に出て、鍛冶橋通りをヘロヘロと歩いて、《フランス古典映画への誘い 》特集開催中のフィルムセンターへ。マルセル・カルネ監督、ジャック・プレヴェール脚本の『ジェニイの家』を見る。

あとはもう寝るだけというひととき、EDI の『中戸川吉二 三篇』巻末の年譜を眺めて、『北村十吉』のあとさきをたどって、胸がいっぱい。三宅周太郎の「中戸川吉二論」を早く読みたいものだと思う。そういえば『北村十吉』のなかで三宅周太郎の「中戸川吉二論」と同じ号に自分の短篇も掲載されて、中戸川吉二本人が自信たっぷりみたいなことを書いていたけど、その短篇って何だろうと確認すると、大正9年10月の「新潮」に掲載されたのは『馬』だった。京橋図書館で借りた『中戸川吉二選集』(渡辺新生社、大正12年)で読んだ「馬」、大好きだったなあと追憶にひたる。などと、『北村十吉』を読んだことで、今までよりもずっと中戸川吉二を身近に感じる。『中戸川吉二 三篇』は明日の朝、じっくりと読み直すべく、今日のところは早々に寝る。