中戸川吉二を返却し、小島信夫を予約し、福原麟太郎を借りる。

今日はなんだかひときわ気分爽快な金曜日。毎朝こうだったらどんなにいいだろう。機嫌よく早々に外出して、いつもと違うお店でカプチーノを飲む。姿勢をただして、EDI の『中戸川吉二 三篇』(http://www.edi-net.com/sosho/nakatogawa.html)を読む。まずは、発表順に最初の2篇、「放蕩児」(「改造」大正8年10月)と「縁なき衆生」(「新潮」大正9年3月)を読む。前に一度読んだきりだったけど、『中戸川吉二選集』(渡辺新生社、大正12年)と『北村十吉』(叢文閣、大正11年)とを読んだあとに、こうしてあらためて読んでみると、なんだかしみじみ胸にしみいる。一文一文がキラキラと輝いている。そしていよいよ、最後は「滅び行く人」(「文藝春秋」大正15年1月)。前に読んだときはなにげなく読んでいたけど、これは中戸川最後の小説なのだった。読んでいるうちに思わずじわっと涙ぐむ。ラストシーンを何度も読み返す。

日中の外出の折に、思うところあって持参していた、野口冨士男『虚空に舞う花びら』(花曜社、1985年)の目当てのところを読み返したあと、適当にペラペラ繰って、つい夢中。小島信夫の『私の作家評伝』全3冊(新潮選書)を読みたい! と急に燃える。

夕刻、マロニエ通りをテクテクと歩いて、京橋図書館へ。中戸川吉二『北村十吉』を返却し、小島信夫の『私の作家評伝』を予約し、福原麟太郎『春興倫敦子』を借りる。

刊行年度の古い本はもうすぐ館内閲覧のみになるとのこと(当然だ)。シメシメと、あとはもう寝るだけというひととき、借りたばかりの福原麟太郎『春興倫敦子』(研究社、昭和10年)を繰る。今にも破れてしまいそうな状態なので、ソロリソロリと読む。扶桑書房の目録で見かけて欲しい本が多すぎて今回は断念したのだったけど、いざ手にしてみると、実にいい本だなあと、いずれ買ってもっとじっくり読もうと思う。戦前の福原麟太郎は初めてかも。同時代の洋行帰り文筆家の系譜を思う。獅子文六のパリ本を思い出す。寝床で、高見順『昭和文学盛衰史』(文春文庫)を読み返して、いつもの通りに夢中、つい宵っ張り。