「戸板康二ダイジェスト」更新メモ(#054)、明治製菓三田売店メモ。


戸板康二ダイジェスト(http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/)」を三か月ぶりに更新。

  • 三か月ぶりに更新を再開してみると、今月はちょうど「戸板康二ダイジェスト」がはじまって満6年、7年目からはもうちょっとちゃんとしたい。
  • 5月の講談社文芸文庫の新刊として、犬丸治編『思い出す顔  戸板康二メモワール選』(asin:4062900122)が発売したと思ったら、来月9月のちくま文庫の新刊として矢野誠一戸板康二の歳月』が発売になるという。戸板康二に関しては今年もソワソワ続き。
  • 講談社文芸文庫の『思い出す顔 戸板康二メモワール選』は一読者としてホクホクとページを繰って、しょっぱなの「うまれた町」に綴られている戸板康二による「東京の昔」だけでも汲めども尽きぬ感じで、あれこれ本を繰っては悦に入って収拾がつかなくなっていた、この三か月だった。

といったようなことを書いています(→ http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/news/index.html)。


ひょんなことから、岩波文庫三宅周太郎文楽の研究』正続を三年ぶりに再読してみたら、三宅周太郎の熱い筆致にあらためてメロメロ、もういてもたってもいられない。そんなこんなで、うっかり買ってしまった《復元幻の「長時間レコード」山城少掾 大正・昭和の文楽を聞く》なる5枚組ディスクに耳を傾ける日々。夏の夜の浄瑠璃


三宅周太郎の『文楽の研究』については、『夜ふけのカルタ』(三月書房・昭和46年4月→旺文社文庫・昭和57年10月)所収の「五つの演劇論」で間然するところのない見事な文章を、戸板康二は書いている。これを読んだら誰もが三宅周太郎文楽の研究』を買いに走り、杉贋阿弥『舞台観察手引草』や岸田劉生『演劇美論』が欲しくてたまらなくなり、小山内薫の劇評を何が何でも読まねばと思うに違いない(たぶん)。わたしもこの文章を機に、これらの本を手にして、戸板康二の「五つの演劇論」を何度も参照しつつ繰ったものだった(岸田劉生という存在そのものに興味津々になったのそもそものきっかけは『演劇美論』だった)。


三宅周太郎戸板康二の出会いというと、慶應予科2年に在学中の昭和8年10月、所属していた歌舞伎研究会が企画していた演劇人を招いて話を伺うという催しで、三宅周太郎を囲む会が開催されたのが、その謦咳にふれた最初だったという。その会場が、「三田通りの明治製菓売店の三階の小さな部屋」。




「ホーム・ライフ」一周年増大号(昭和11年8月)掲載の「慶應義塾大学風景」、《三田山上から東京都(芝浦)を望む、左手の建物は図書館》。先日、「ホーム・ライフ」に胸躍らせてその復刻版を夢中で繰ったのだったけれども、そのなかで見つけた数多い好きな写真のひとつとして。戸板康二の在学時(昭和7年4月から昭和13年9月)の三田キャンパス!   


この写真の左に大きく写る図書館の建物の先にあるのが通称「幻の門」で、ここを出た左側に春日神社があり、このあたりに当時、明治製菓売店の三田売店があったという。白木正光編『大東京うまいもの食べある記』(丸ノ内出版社、昭和8年4月30日初版)の「三田慶應大学附近」の項には、《大和屋の向ひ側で、経営法は他の明治製菓同様、喫茶のほか軽い食事もやつてゐます》と、さらりと紹介されている。


『三十五年史 明治商事株式会社』(昭和32年5月)所収の年表によると、三田売店の開店は昭和4年9月16日で、昭和10年7月20日に早くも閉店しているから、ずいぶん短命だった。野口冨士男の『感触的昭和文壇史』(文藝春秋、昭和61年7月)にある、

慶應義塾の戦前の正門――幻の門から赤羽橋の方向へ向かうと、軒並みにして三、四軒先の左側――あの赤煉瓦の図書館の真下といった位置に、現在でも春日神社がある。あの参道と言っては大袈裟になるから小さな空間ということにしておくが、右側に階下が菓子の売場で、階上が喫茶室になっていた明治製菓売店があった。その二階で三田文学会主催の談話会である「紅茶会」などもおこなわれていたことがあって、「三田文学」とは別の同人雑誌を出していた私も呼びかけに応じて出席したことがあるが、立地条件が悪かったため平常は閑散としていた。(p.89)

というくだりを見ると、短命だったのももっともだと納得。しかしながら、こうして「三田文学」の「紅茶会」の会場になったり、歌舞伎研究会の会場になったりと、「明治製菓三田売店の時代」といったものに心惹かれるものがあるので、ついでにここにメモ。