富十郎の『二人椀久』は実にブリリアントなり。

朝の喫茶店で、足立巻一の遺稿集『日が暮れてから道は始まる』(編集工房ノア、1987年)を読み始め、読み始めたとたん、「いい文章だなア…」とページを繰っていくのがもったいない。ソロソロと読んでゆく。大事に読み進めるとしようと、程よいところで切り上げて、永井龍男の『けむりよ煙』を読み始める。読み始めたとたん、「ひゃ〜、面白い〜」とページを繰る指がとまらない。

昼休み、足立巻一を持って、早々にコーヒーショップへゆく。ソロソロとページを繰る。前々から気になりつつも未入手だった、竹中郁の『消えゆく幻燈』が早く欲しいと切に思う。

夕刻、歌舞伎座へ。幕見席で開演を待ちながら、永井龍男の『けむりよ煙』をグングンと読む。日曜日の歌舞伎座では、富十郎の『二人椀久』が「すごくいい!」と大興奮だった。明日にでも幕見に行きたいものだと思ったものだったけど、無事また来られて本当によかった。それにしても、なんてすばらしいのだろう!

などとホクホクしながら、今夜も京橋図書館へ。坪内逍遥の『少年時に観た歌舞伎の追憶』(大正9年刊)を借りる。

あとはもう寝るだけというひととき、足立巻一の文章で思い立って、庄野潤三の『相客』を何年ぶりかで再読。永井龍男の『けむりよ煙』があともう少しで読了というところで、いつのまにか寝てしまっていた。